NORIANDHIRO トレイル紀行

アメリカ南西部 バックカントリーの旅

グランドキャニオン横断記
Wilderness Trip of the Sierra Nevada and Surrounding Areas
1. グランドキャニオンヘ

 アメリカ南西部、アリゾナ州にあるグランドキャニオンは、コロラド川の浸食で造られた大渓谷。渓谷の総延長446km、幅13〜26km、台地面からコロラド川までの標高差は1400メートルある。コロラド高原を流れていたコロラド川が、現在の深さを形成するまでの時間は5〜600万年といわれている。

1919年に、グランドキャニオンが国立公園となってから、アメリカ人が一生に一度は行くところと言われ、アメリカ各地から、そして世界中から多くの観光客が訪れる。
グランドキャニオンには、サウスリムとノースリムがある。フラッグスタッフに近いサウスリムは渓谷の南側にあり、観光の中心である。

施設が充実し、訪れる人も多い。無料のシャトルバスがそれぞれの施設やビューボイント(展望地点)を回っている。ノースリムは、渓谷を隔てたサウスリムの北側にある。サウスリムに比べ訪れる人が少なく施設も小規模であるが、静かでのんびりできるところである。二つのリムの直線距離は約17km。夜になると対岸のリムの灯りが見える。

サウスリムは初めてであったが、ノースリムは、数年前の自転車旅行で行ったことがある。そこに数日滞在したが、リムの周辺を散策しただけで、渓谷内へのハイキングはしなかった。自転車で横断してみようと思ったが、トレイルは自転車が通れなかった。それで、次に来るときは歩いて渓谷を横断してやろうと決めたのだ。



2. サウスリム

 グランドキャニオンのサウスリムヘ着いたのは、7月24日午後5時。サウスリムヘのアプローチタウンであるウイリアムスからバスで1時間半ほどであった。
当時、グレイハウンドやコンチネンタルトレイルウェイズといった長距離バスが北アメリカを縦横に走っていた。飛行機に比べて料金が安く、鉄道が少ないアメリカでは、バスは長距離移動手段として庶民の足であった。

ウイリアムスからのハイウェイは、なだらかな丘をゆっくり登るように続き、周りの景色は、準乾燥地帯特有の低い木立の森が多かった。バスの中からは、こんな高原の先に大渓谷があるとは想像できなかった。

ブライトエンジェルロッジでバスを降り、リムから地平線の下に広がる大渓谷を見下ろす。
刃物のような鋭い峰が、ジグザクに割れた谷に向かってせり出している。山肌を覆う垂直の壁と士砂に覆われた斜面。中央には深い谷が刻まれ、見えないが、コロラド川が流れているはずだ。その谷の手前には、小さな三角形の平地がある。その底辺から、頂点に向かって見える線は、トレイルのようだ。

リムの岩壁に目を移すと、最上部が縦にひび割れた岩の層、次は、縦横に線のあるうす茶色の層、その下に黒が混ざった堅そうな岩……など、いくつもの層が見える。階段のように削られた部分には土砂が積もり、まばらに木が生えている。
コロラド川の侵食と言っても、このような壮大な規模で起こりえるものなのか、数百万年という長い間、その浸食が続いたのか。グランドキャニオンを見ていると、想像を遥かに超えた大自然の驚異に、ため息が出るばかりだった。

リムを離れた私は、今日のキャンプを確保するために、サウスリムを走るシャトルバスでマザーキャンプグラウンドへ向かった。キャンプグラウンドは、ブライトエンジェルロッジから3kmあり、歩くと一時間近くかかる。
キャンプ場の前のマーケットプラザでバスは止まる。そこには、カフニ ロッジ、スーパーマーケット、郵便局、銀行などがあり、必要なものはたいてい手に入る。しばらく生活するにも十分である。
キャンプ場へ行く前に、そこのスーパーマーケットで食料を仕入れた。買い物の後で、ホットドッグを買って食べた。なつかしいその味が、数年前の自転車旅行を思い出し、またアメリカへやって来たことを実感した。

3. 出発準備

 2日目は情報の収集と装備や食料の準備に費やした。私が歩こうとするコースは、サウスリムからコロラド川を経て、反対側のノースリムへ行く、全長37kmの横断ルートである。
途中にはキャンプ場が3か所、ロッジが1か所ある。キャンプ場には水やトイレがあり、ロッジにはレストランがある。コースも整備され、水はキャンプ場以外でも、谷底であれば川から得ることができそうだ。

それで気楽なかっこうで谷へ降りて行く人もいるが、山登りと違い、2時間や3時間下っても大して疲れないが、慣れない人はそのうちに膝ががくがくと笑ってしまう。その脚で下ってきた倍以上の時間をかけて登るのだからたまらない。
それに加えて、暑さの問題がある。最後のバスの乗り継ぎ点ウィリアムスでは、ものすごい暑さに驚いたが、グランドキャニオンはコロラド高原(サウスリムの標高は2200メートル)にあるため、アリゾナ州の他の都市と比べてかなり涼しい。
レンジャー事務所の情報板によると、ここの24日の最低気温が13度、最高は32度と、真夏でもさほど暑くない。それに比べるとコロラド川の流れている辺りは、最低28度、最高は45度(23日)という信じがたいものだった。体力には自信があるが、水や食料を詰め込んだリックは重い。こんな暑さの中を長い時間歩くことはとてもできないだろう。

もう一つの問題は、途中のキャンプサイトは利用枠があり、利用するには許可が必要だということだ。

グランドキャニオンはナショナルパークで(日本では、ナショナルパークを国立公園と訳しているが、日本の国立公園とは違う)厳重に自然が保護されている。
日本の場合、先着順で空いている場所にテントを張れる。シーズンは足の踏み場もないくらい混雑するが、それが当たり前だと思っていた。

しかし、ここは違った。広い場所があり、たくさんテントを張れるスペースがあっても、10から20パーティくらいしか受け入れない。同じ場所に集中すれば、そこが荒れてしまうからだ。
他の例では、登山口で入山枠を設けているところがある。ヨセミテでは、一つの登山口からの1日当たりの入山者を少ない所で20人、多い所でも60人にしている。そのうちの6割は予約で、残りは前日から先着順で受け付ける。
希望の登山口を確保できなければ、日を変えるかコースを変える。入山枠のシステムにより、登山者の集中を防いでいるのだ。

許可証のもう一つの役割は、レンジャーにルールやマナー、注意事項の説明を受けてから、それらを守るとサインした者に発行される。それが、ルールの徹底に役立ち、また、事故を防ぐ効果もある。
罰金制度もある。野生動物に食料を与えたり、食料やごみを放置して動物に食べさせてしまったりした場合、また、キャンプファイヤー禁止のところでたき火をした場合も罰金である。

また、これらのルールを徹底するために、レンジャーによるパトロールが行われ、許可証の提示を求めたり、ルールを守っているかどうかチェックしたりする。
このような厳しい制度は、我々日本人にはなじみがない。だから、最初は戸惑い、不便に感じたが、自然を大切にするだけでなく、登山者にとっても必要な制度であると思った。

そのキャンプ場利用の許可をもらうためにレンジャー事務所へ行った。(現在はバックカントリーインフォメーションセンター)ちょうど週末で、士曜日の宿泊地は予約できたが、日曜日の宿泊地の許可を得るためには、明日の朝早く来て並ばなくてはならないということだった。(* 日本からの予約方法は巻末資料を参照)


たどたどしい英語で何度も聞いたが、答えは同じだった。レンジャーは、事務所は7時に開くから5時頃に来てみればということを付け加えた。
もし許可が下りなければ2日も足止めされることになる。2日や3日の日程のゆとりはあったが、グランドキャニオンを一目見てから、今すぐにでも谷へ降りて行きたい気持ちになっている。明日は3時に起きて並ぼうと思った。

4. レンジャー事務所にて

 7月25日(土曜日)午前3時起床。

私は、寝袋とウレタンのマットレス、それに貴重品をサブザックに詰めて、まだ暗いキャンプ場を抜け出し、ヘッドランプの明かりを頼りにレンジャー事務所のあるビジターセンターへ行った。
4時少し前に着いたが、誰もいない。二重になっているドアの外側が開いたので、内側のドアの前にマットレスを敷き、寝袋の中に入った。

しばらくすると、一人、二人と寝袋を持ったり、折り畳み式のベッドを持ったりして何人かがやってきた。互いに許可をもらうためにやってきたことを確認すると、寝袋の中に入り、7時の開館まで少しでも眠ろうとしていた。
しばらくうとうとしたのか、辺りはもう明るかった。入り口の周りには、2〜30人のハイカーが来ていた。不思議なことに、彼らは列に並んでない。思い思いの場所で立ち話をしたり座り込んだりしていた。

7時を少し過ぎてから係員が鍵を持ってやってきた。前からわかっていたが、ビジターセンターのドアは二箇所あり、私が並んだのは左側のドアの前であった。ところが、係員が開けたのは右側で、そのまま我先にと進んだため、レンジャー事務所の前に並んだ時は5、6番目になってしまった。
「せっかく、一番乗りしたのに」と、がっかりしていた時、一番先頭にいた背の高いひげの男がこう言った。
「私はここに一番先に来なかった。(私の方に向かって)オー、あなたが、一番先に来た人だった。どうぞ。さあ、みなさん、順番通りに並びましょう。」

彼は、こう言って私を先頭に来させ、自分は数人後に並んだ。彼のこの言葉とそれに従ったハイカー達の行為で、私の不快感は一度に吹き飛んだ。無事予約を取り、キャンプに帰る時の気分はさわやかで、寝不足にもかかわらず、旅に出て最高の朝であった。

5. ハイキングプラン

 午前9時に許可証をもらうために、再びレンジャー事務所を訪れた。
女性のレンジャーは、日本人がいることを知ってか、ゆっくりと大きな声で、ごみの持ち帰り、水を2リットル以上持っていくこと、塩分が不足するからビーフジャーキーやピーナッツを持っていくようにどいうことや、食べ物は小動物に狙われるから、木に吊り下げておくように、また、たき火をしないことなどていねいに説明した。

それが終わってから、個人的に計画を聞き、入山届を提出してキャンプ場利用の許可証をもらう。
私にとって、初日にコロラド川まで下り、そこのブライトエンジェルキャンプに泊まるのがベストである。が、あいにくブライトエンジェルは満員で、その手前のインディアンガーデンキャンプを指定された。2泊目は、予定通りコットンウッドキャンプがとれた。

1日目の行程は7km、2日目は19km、3日目は11km。1日目は今から出発してもお昼過ぎには着くだろう。2日目は距離が長いし、一番暑いところを長い時間歩かなくてはならない。3日目は、距離はさほどでないが、ほとんど登りだ。2日目が一番きつそうかな。それなら、夜明け前に出発しようか。

そんなことを考えながらビジターセンターを出たら、バックパックにやたら日の丸をつけた日本人がやってきた。聞くと、これから谷底で一泊したいという。事情を説明してこれから許可をもらうのはだめだろう。あさってなら許可が下りるだろうと教えてやったが、彼は、「よわったなあ、ここ、2日の予定なんだがなあ。」と、本当に困った顔をして答えた。
彼は私と同じでグレイハウンドバスのパスを買ってアメリカを旅行している。せっかくのアメリカ旅行、いろいろなところを見たい気持ちはわかる。が、グランドキャニオンにたった2日とはもったいない。

当時の日本人の観光客は、短い期間にたくさんの観光地を巡る旅行が多かった。私が自転車旅行でアメリカを横断した時、10日も連続で走ることはあったが、ヨセミテやグランドキャニオンには一週間いた。特に、何をするわけではなかったが、毎日ぷらぷらと歩き回り、キャンプ場で出会った人々と友達になるなど、のんびりとした時間を楽しんだ。

グランドキャニオンに来るアメリカ人のキャンパーは、日中に日陰で本を読んだり、昼寝をしたりする人をよく見る。あくせくと歩き回る日本人からすればもったいないと思うが、そんな時間の過ごし方も大切だ。休暇だから、のんびり過ごそうという考えなのだ。また、グランドキャニオンに限らず、景色を見るなら昼間よりも、朝夕がきれいだ。早起きして日の出を見て、夜は星空を楽しむならば、昼寝をした方がよい。

6. インデイアンガーデンへ(25日)

 午前10時。水や食料を詰め込み20キロ近くになったリックを背に、サウスリムを出発。ブライトエンジエルトレイルをインディアンガーデンへと歩き始めた。
重くなったリックと反対に足取りは軽かった。下り坂だからということもあるが、あこがれのグランドキャニオン。その深い渓谷へ下るトレイルヘ足を踏み入れた。そして、この偉大な渓谷を横断し、6年前に訪れたノースリムへ行く。3日間の冒険旅行が始まったのだ。

トレイルの傾斜は、リムから見たよりも緩やかだ。ラバ(ロバと馬の合いの子)が通るためか、広さも十分ある。そのかわり、あちこちにラバの糞が落ちている。糞だけでなく、尿の水たまりがあちこちにある。糞はよけられるが、尿の匂いはさけようがない。その臭さには、ほんとうに悩まされた。
谷へ向かって、水やカメラを持った人達が降りて行く。早朝出発したのだろう、すでにリムに戻ろうとする人もいる。下っていくハイカーの足取りに比べると登るハイカーは苦しそうだ。「ハイ」とか「ハロー」と、声をかけるが、返事をする余裕のない人もいる。

グランドキャニオンのサウスリムの近くは、垂直にそそり立つ巨大な岩盤で、渓谷を下るにしたがって、石灰岩、砂岩、泥板岩など、いろいろな地層が姿を現す。これらの岩層は、乾燥地帯の強烈な太陽の光によって、白、茶、緑、黒などのあざやかな色の対比を見せる。
その強烈な太陽の光が真昼のトレイルヘ容赦なく降り注ぐ。「暑い!」下っているにかかわらず、暑くてたまらない。岩陰を見つけて休憩する。日向と日陰の気温差はかなりある。

途中、2か所に屋根と石壁の休憩所があった。それぞれに水飲み場があったが、数人が列を作っていた。持ってきた水筒の水はもう空になったのだろうか、この暑さの中、だれもが予想以上に水を飲む。レンジャーが「水は2リットル以上必要」と言ったわけがわかった。ただ、日帰りのハイキングは許可が必要ないためレンジャーの話を聞かなくてもよい。ほとんどのハイカーは、水は1リットル程度しか持ってないようだ。

休憩所で休んでいると、小さなリスが。ハンくずをあさりに来た。リスのほかにトカゲもいる。グランドキャニオンには、マウンテンライオンや鹿、カイオリと呼ばれるコヨーテ、ボブキャットもいる。いつかアリゾナでテントの前に現れたサソリには会いたくない。毒蛇も怖い。山用品の店で「スネークバイトキット」という毒蛇などに噛まれたときの応急手当のセットを買ったが効果があるかわからない。


トレイルに戻るとラバの隊列に出会った。トレイルでは馬やラバが優先で、ハイカーは、山側によって道をゆずることになっている。はじめは珍しくて写真を撮っていたが、長い行列が終わるまで道端で待ってなければならず、その間に泥だらけになるので、いやになった。

そんなことをしているうちに、木々の生い茂る小さな森に着いた。森の中には、木造の小屋やラバの牧場のような施設がある。そこがインディアンガーデンであった。
木造の小屋はレンジャーステーションで、そこで、リックにひらひらさせた許可証を見せてどこでキャンプしたらよいかと聞いた。どこでもいいから空いているところでやってくれと言う。キャンプを一回りして適当な所でリックを下した。時計を見るとまだ一時半だ。歩き足らないが次のキャンプが満員なら仕方ない。
先に着いたパーティは、日影で昼寝をしている者、グループで話をしている者、食事をしている者など様々で日帰りのハイカーも休んでいる。

水場に行き冷たい水を飲む。紅茶をいれたりお茶をいれたり,水分はどれだけでも体に入っていく。けれど、あまり食欲はない。ビーフジャーキーとドライフルーツを昼飯代わりに押し込む。調子に乗ってドライフルーツ1袋(170g)をお茶と緒に全部食べてしまった。
これだけのドライフルーツは、生の果物にしてどれくらいあるか知った時にはすでに遅く、一時間もすれば腹が痛くなってトイレに駆け込んだ。

7. プラトーポイント

 となりのピクニックテーブルで休んでいた中年のハイカーが、地図を見せてくれと私のいたテーブルにやってきた。彼は、「プラトーポイントへ行きたいと思うんだ。」「プラトーポイント?」「そう、そこからコロラド川を見下ろすことができる。」「(距離は)ツーエンドハーフマイルか。そんなに遠くない。」と、となりにいた奥さんに言った。彼は、奥さんにも行くように勧めたが、奥さんの方はその気はない。彼は、水だけ持って一人で行ってしまった。
まだ、夕暮れまで時間がある。私も、彼の後を追うようにプラトーポイントを目指した。陽は傾きかけていたが、あいかわらずすごい暑さだ。冷たい水で冷やしたお茶を持っていったが、すぐに温かくなってしまった。

プラトーポイントへは、平らな台地を横切るフラットなトレイルを行く。振り返るとサウスリムの岩壁がある。今日降りてきたトレイルやブライトエンジェルロッジがかすかに見える。
ここは、サウスリムから見えたトレイルであった。上から眺めた時には、小さな三角形にしか見えなかったが、実際には広々とした平原である。グランドキャニオンのスケールの大きさが、広大な台地を小さく見せたのだ。
トレイルの中央からの眺めは、360度開け、遠くには三角形や台形を組み合わせた岩山があり、周りは、なだらかな丘に広がる乾燥した大地が広がっている。足元には、奇妙な形をしたサボテンや背が低くとげのような葉をもつタンブルウィードのような草木がまばらに生えている。

途中、さっきのハイカーとすれ違った。「もうすぐだよ。」と、言った彼にサウスリムを背景に写真を撮ってもらった。
グランドキャニオンを含むコロラド高原は、年間降水量500ミリメートルの準砂漠地帯。木は少ないが、厳しい環境に適応した数多くの植物がみられる。インディアンガーデンのようにクリーク(小川)が近くにあれば草木の種類は豊富で大きな木も育つ。この台地の真ん中では、たまに降る雨や雪から水分を得るしかない。わずかな水分でも生きられるサボテンか鋭いとげを持つ植物しか育たない。
30分かそれくらいでプラトーポイントに着いた。プラトーポイントは、大渓谷へせり出す岬のようである。先端の手すりに近づき、恐
る恐る下を覗き込むと、450メートル下を流れるコロラド川が見える。コロラド川は、切り立った岸壁の間をぬうようにして東から西へながれている。上から見るとゆっくりと流れているようであるが、ところどころ白波が立っている。テレビで見たグランドキャニオンの急流下りを思い出した。

「怖い!」手すり越しに下を覗き込んでいると吸い込まれそうで思わずしゃがみこんでしまった。私が鳥であってもこの渓谷を渡るのはためらうかもしれない。遊覧飛行機に乗った人の話では、渓谷の上は気流の変化が激しく、気分が悪くなるほど揺れるという。
川へ向かうトレイルが見えた。何人かが歩いているのが小さく見える。私も明日の朝、あの道を通る。
コロラド川の水面から、ここより50メートルくらい下まで、数百メートルの高さの固い岩盤だ。その上が縦に大きな割れ目がいく筋も入った岩が50メートルほどの層になっている。その上がプラトーポイントとおなじ高さの砂の層。その上は遠くて細部までわからないが、横に筋のある岩の層。そこに上の層が削られた砂が斜めに覆いかぶさり、横に筋のある岩の層がある。最上部は堅そうな縦に筋のある岩盤。そこが台形だったり、また三角形だったりする。

おもしろいことに、これらの層は、同じ高さであれば川のこちら側でも向こう側でも、また、どこを見渡しても同じなのだ。かつては、ここがひとつの台地でコロラド川の浸食で造られたことが理解できる。けれども、この見渡す限りの大地を削り取った浸食の力と、数百万年という時の長さは想像すらできなかった。
帰りは、途中から強い向かい風が吹き始め、帽子が飛ばされそうになる。時々、砂塵が舞いあがりほとんど何も見えなくなることもあった。
キャンプに帰ってからも風はやまない。他のパーティも何もできず、木陰で風をよけるようにじっとしている。私もピクニックテーブルの上で横になり、そのまましばらく眠った。

8. コロラド川へ(26日)

 昨夜は暑さのために夜遅くまで眠れなかった。それに、一晩中泣き続けている虫の声にも悩まされた。
やっと涼しくなった午前4時に起床。隣のパーティを起こさないように出発準備をした。
となりのパーティは、昼間の中年のハイカーが去った後にやってきた。彼らは、「私たちが隣に泊まっても構わないか。」と丁寧に訪ねてきた。空いている場所にキャンプするのに、丁寧すぎるほどのことわりを言われ、私はすっかり恐縮してしまった。彼らは互いにフランス語を話していたし、バックパックに縫い付けてあった国旗は、カナダのものであった。

辺りがようやく明るくなってきた頃に出発した。まだ涼しいと感じられる。キャンプでは、いくつかのパーティが出発準備をしていた。すでに出発した空のサイトもあった。サウスリムに帰る者、コロラド川へ下る者、あるいは、東西に刻まれるトント。トレイルを歩く者。どちらにしても、早朝から歩き始め、午後はなるべく早く切り上げたいと考える。昼間の数時間はものすごい暑さに見舞われるからだ。

今日の行程は20km。太陽の光が谷底まで下りてこないうちに距離を稼いでおきたい。昼間の40度を超す暑さの中は、休憩が多くなりペースダウンする。コロラド川までの7kmは下りだが、そこからコットンウッドまでの12kmは、ゆるやかな登りである。コロラド川を9時に通過し、コットンウッドに2時に到着しようと思った。
ヨロラド川までの日帰りのハイキングをしないように」という看板が、インディアンガーデンを過ぎたところにあった。無理をしてコロラド川まで行くと、帰路の登りで暑さと疲労で熱中症になる場合があるからだ。
夏は、午前10時から午後4時までは登りのハイクは避けるのが原則で、昨日の夫婦のように、インディアンガーデンまで下りて、余裕があれば、プラトーポイントまで行く。帰路は、陽が
傾き、トレイルが日陰になり始めた頃に登り始めるのがよい。

インディアンガーデンから険しい岩山を削るようにつけられたトレイルが続く。太陽が昇るにつれ、山の上が陽の光を浴びて輝き始める。時々立ち止まって、輝く岩山を眺めたり写真を撮ったりする。
しばらく行くと深い谷があった。トレイルはその谷にジグザグに刻まれている。それを下ると小川に出る。

この辺りでたくさんのバックパッカーにすれ違う。ブライトエンジェルキャンプを早朝に出発したパーティだ。軽装の人はファンタムランチに宿泊した人たちだろう。夫婦のハイカーは、夫だけがバックハックを背負い、妻はほとんど何も持たないペアも珍しくない。男がやさしいということもあるが、荷物が少なくて済むからだ。
わたしも、数年後に妻とブライトエンジェルキャンプに泊まった。私がほとんどすべての荷物を背負い、妻は水筒だけ持って下った。テントも防寒具もいらないので荷物は少なく、リック1個で十分だったからだ。

小川に沿ってしばらく行くと「ゴオー」と低い音が聞こえた。「ヨロラド川だ。」茶色い川の流れが切り立った岩の問から見えてきた。プラトーポイントからは、ゆっくりと流れているように見えたが、近くで見るとかなり速い。ところどころに白波が立っている。深さも相当あるようだ。
レンジャーは、「暑いからと、コロラド川では泳がないように。水は冷たいし、流れは予想以上に速いから。」と、言っていたが、この辺りはグランドキャニオンで一番暑い所。水浴びくらいはと川に入る人もいるのではないか。私も、川で泳いで流されかけたことがある。川の流れには逆らえず、斜めに泳いで岸にたどり着いたが、コロラド川の流れは、もっと速い。流されたら助からないかも知れない。

このあたりのトレイルは砂地で、近くの説明板に「水が岩を砕き、風が砂をつくる」と書いてあった。その砂へ朝とは思えない強烈な太陽の光が照り付ける。砂の暑さが靴を通して足に伝わる。今までずっと日影であったが、急に日向になると、すぐに疲れてしまう。日陰を見つけて休んでいると、見る間に影が小さくなっていった。
昨日は、数百万年の時の長さが理解できなかったが、渓谷の最上部のカイバブ石灰岩の層でさえ、2億7千万年前のものである。渓谷の底、コロラド川の流れるここは、18億年前のビィシヌ基盤岩の層だ。地球の歴史が45億年とすれば、私は、その半分近い層の岩にすわって休み、それが砕けた砂の上を歩いているのだ。

9. 酷暑の中

 コロラド川に架かる橋を通過したのは、午前は8時40分、予定より少し早い。橋の長さは50メートルくらい。がっちりした鉄の吊り橋である。吊り橋渡りは、ちょっとした冒険で、怖い吊り橋もある。三重県の大杉谷にかかるたくさんの吊り橋も、南アルプスの畑薙(はたなぎ)大吊り橋も「定員〜名」とか「ゆすらないで渡ってください」と書かれてある木製のもので、ゆっくり歩いてもゆらゆらゆれる。これは、それと比べるとはるかに安心できるが、板をふみはずさないようにと慎重になる。
この橋は歩き専用で、数百メートル上流に馬が通るために、底板を二重にして両側に鋼鉄製の手すりを付けた吊り橋がある。橋を渡った少し上流に、カーブの内側になった砂浜があった。流れがゆるやかなこの辺りはボートの発着が容易で、下りの中継点となっている。

そこに流れ込むのがブライトエンジェルクリーク。このクリークの西岸にキャンプ場がある。キャンプ場は大きな木がなく、インデイアンガーデンと比べて日影が少ない。
キャンプ場の他には、レンジャーステーションが二か所、馬小屋、ファンタムランチといいうロッジとへリポートがあった。へリポートは緊急用で、ロッジへの物資の運搬はラバを使う。
ファンタムランチには、レストランの棟と2〜30のキャビンがあった。それぞれの建物にエアコンがついている。レストランが開いていれば、新鮮なサラダを食べて冷たい物を飲みたいと思ったが閉まっていた。

ここからは、コロラド川の支流、ブライトエンジェルクリークに沿ったノースカイバブトレイルを歩く。このトレイルは、渓谷の奥で、クリークを離れ、ノースリムヘと続く。今日は、このクリークに沿って歩くため、水の心配はしなくて良い。9km先には、リボンフオールズがある。「ここは、ほんとうにきれいだから是非寄ってみれば。」と、レンジャーに勧められた滝だ。

ノースカイバブトレイルに入ってからしばらくは、両側に高い岩山がせまる渓谷で、日影が多い。途中でロッジに泊まっていた様子の2組の夫婦に追いつく。リボンフオールを目指しているようだったが、そのうちの1人の奥さんがパテ気味で何度も休んでいる。彼らを追い越した時は調子が良かったが、暑さと荷物の重さが次第に体に応えてきた。
河原で靴を脱ぎ、水に足を入れて休んだ。歩き始めてから5時間たち、少し早いがビーフジャーキーとドライフルーッ、クラッカーで昼食をとった。

進むにつれて谷は広くなり、太陽も真上に登って日影はほとんどなくなった。暑いが汗はほとんど出ない。いや、汗はかくがすぐに蒸発してしまう。
急にペースが落ち、前かがみのまま立ち止まり、近くの岩場にしゃがみこんだ。後ろから中年夫婦のバックハッカーに追い越され、その時、「アーユーオッケイ?」と聞かれたが、大丈夫と答える元気もなく、「アイドンシンクソウ。」と、答えた。彼は「この先に滝があるのを知っているだろう。シャワーを浴びるんだ。元気になるよ。」と、心配そうに言ってくれた。

それから、ただひらすら滝でシャワーを浴びることを楽しみに歩いた。
しかし、道は登り坂が多くなり、日影はもうほとんどない。太陽は容赦なく照りつける。休んでばかりで、時間のわりに距離は稼げない。
「西日の入る(自分の)アパートがいかに暑いとはいえ、水風呂に入ったりスイカを食べたりして過ごせるのに・・・わざわざこんなつらい思いをするために来たのか。」と、くやんだ。
原因はわかっている。私は、グランドキャニオンのあと、ロッキーに行く。テントや雨具、山用の寝袋、防寒具も入っている。グランドキャニオンだけのバックパッキングならば、重さは3分の1になるだろう。

10. リボンフオールズを浴びて

 パテ気味だった私のペースがあがったのは、リボンフオールズを見つけてからだ。
ブライトエンジェルクリークの向こう側、岩山と岩山の間にある細い滝がそうだった。滝の近くまで来たとき、カメラとスナックを出し、リッ夕を岩陰に置いて急いだ。

滝の高さは10〜15メートルくらいで、水量も豊富だ。滝の周りは水しぶきが上がり、風で吹き上げられたしぶきで涼しい。まさに、砂漠のオアシスだ。
「滝でシャワーを浴びれば」といった夫婦は先に来ていて、滝の暴側に行く道を教えてくれた。滝のうらは広く、7、8人のハイカーが腰をかけている。その後ろを歩けるスペースがある。
外に出て、冷たい水をたっぷり飲み、シャシを脱いで滝に打たれた。気持ちはいいが、やっぱり冷たい。
さっきまで、パテ気味で熱中症になりかけていたのかも知れない私は、滝を浴びてから生き返ったように元気になった。
その後、熱くなれば、川の水を頭からかぶった。すぐに水は乾いていくが、水をかぶると暑さをしのげることがわかった。
リボンフオールズから一時間余り、2時少し
前にコットンウッドキャンプに着いた。

11.  コットンウッドキャンプ

 コットンウッドにもたくさん木があった。遠くから見てもキャンプの周りだけ緑がこんもりと茂っている。キャンプにはレンジャーの詰所とトイレ、水道があり、各サイトにはベンチ付のピクニックテーブルがある。私は、なるべく広い木陰のあるサイトを探し、そこにリックを下した。

キャンプのすぐそばをブライトエンジェルクリークが流れている。クリークの水は冷たくてきれいだ。ガソリンストーブ(携帯コンロ)でお湯を沸かし、コーヒーを入れた。クリークの石に腰かけて、グランドキャニオンの岩を見上げて飲むコーヒーの味は最高だった。
ところが、そのガソリンストーブの調子が悪くなった。黄色い炎が出て不完全燃焼を起こし、バーナーの根元から燃料がもれている。このガソリンストーブは、コールマンのピークワンで、火力が強く、プレヒート不要の最新モデルだった。日本で調子よく使っていた物を持ってきたのだが、サウスリムのキャンプで故障し、同じ物をコマーシャルセンターで買ったのだ。ピークワンをバックパッキングで使うのを楽しみにしていたのに、買ったばかりのストーブまで故障してがっかりした。(私はその後、バックパッキングではガソリンストーブを使わなくなった。)
ストーブが使えなくなって不便になったが、予備に固形燃料を持っていたし、水は日向に置けば温かくなる。食事はほとんど火を使わなくてすむものだったから、紅茶やコーヒーをがまんすればよかった。

トイレに行くときに、「滝を浴びれば」と、勧めてくれた夫婦を見つけた。元気に着いたと挨拶をしたかったが、今度は、彼がピクニックテーブルに横になり、奥さんに脚をマッサージしてもらっていた。私は、それを見て笑ってしまったが、彼の方もゆかいそうに笑っていた。
その後、木陰で横になった。まだ、日は高いし、涼しくなるまで昼寝をする。太陽が傾くにつれ影も動く。陽が当たると暑くなるので、影の動きに合わせてゴロゴロと回ったり、はうようにしたりしながら寝場所を変えた。

12. フルムーン(満月)

 すっかり暗くなった渓谷を満月が照らしている。木々はざわめくのをやめ、昨夜悩まされた虫の声もあまり聞こえない。
他のキャンパーは、すでにそれぞれのサイトで眠っている。日暮れ時に話をした隣のノルウェー人は、暑さのためか、何度も寝返りを打っている。彼は、明日一気にサウスリムまで行くという。彼も、同じ日の朝に許可証をもらい、この日が2泊目。ここまでは、快調に歩いてきたが、サウスリムまでの27kmを1日で登れるか心配らしい。それで、私にどう思うかと尋ねた。
「ブライトエンジェルボイントからの登りは急だ。少しきついけど、行けないことはない。」と、言うと、彼は私に、「明日の朝何時に起きるか。」と聞いた。私が、「4時だ。」と、答えると、「4時に出発したいから眠っていたら起こしてくれ。」と、頼んだ。
私は、ピクニックテーブルをベッドにして寝た。土の上はまだ熱く、私の薄いウレタンマットレスでは、地面の熱をさえぎることができない。普通、マットレスは冷たい地面へ体温を逃がさないために使うのだが、ここでは反対だ。隣のノルウェー人も同じようにしている。

満月に照らされた岩山が、昼間のように輝きだした。辺りの木々も、キャンプ場も明るく照らされている。グランドキャニオンの場合、昼間歩くよりも夜の方が快適かも知れない。今日のような満月だったら、トレイルもその周りもよく見えて、へツドランプなしでも歩けるだろう。その夜は、そんなことを考えながら眠りに
ついた。

13. ブライトエンジェルクリーク(27日)

 午前4時に起床。
隣のノルウェー人を起こしに行ったが、彼はすでに出発していた。辺りはまだ暗かったが、サウスリムまでは長い。彼が少しでも早くサウスリムに着けるように願った。
今日の行程は、ノースリムまでの11km。標高差は1300mあるが、5時間くらいで着けると思った。それで、ゆっくり出発準備をし、6時頃歩き始めた。

クリークに沿ったトレイルはなだらかで歩きやすかった。ブライトエンジェルクリークは、コロラド川付近では狭く、リボンフオールの辺りが最も幅があり、河原も広かった。コットンウッドの付近までさかのぼると、川幅は2〜30メートルほどに狭まった。
ノースリムに着いたら冷たいコーラを飲んでアイスクリームを食べよう。レストランで野菜サラダを食べよう。キャンプ場でシャワーに入ってコインランドリーで洗濯しよう・・・。と、そんなことを考えながら歩いた。

狭い渓谷の中のトレイルは進むにつれ、景色が変わる。形や色の違ういろいろな岩山が現れ、時間とともに朝日を浴びて輝く部分が下へと広がる。サラサラと流れるクリークもとてもよい。
「鹿だ!」クリークで水を飲んでいる鹿を見つけた。息を凝らしてカメラをかまえた。一枚、そして、さらに近づいて一枚撮った。彼は、私に気づいたが、一定の距離を保っていれば安心しているようだ。これ以上近づいて、彼の水飲みの邪魔をしてはいけないと、2枚撮っただけで立ち去った。

私は、ブライトエンジェルクリークが気に入った。グランドキャニオンの底は、岩と砂のもっと何もない所だと思っていたが、きれいなクリークや川に沿った森がある。リボンフオールズのような滝は、砂漠のオアシスだ。それに、トレイルと橋以外の人工物は何もない。日本では、山奥の川にも砂防ダムがある。清流を台無しにするコンクリートの壁はほんとうに不自然で、いったい何の役に立っているのかと疑問に思う。そんなことを考えていると、クリークに架かる橋があった。ブライトエンジェルクリークに別れを告げ、ノースリムヘの登りに入る。

14. ノースリムヘ

 今回の横断のゴール、ノースリムは、サウスリムより標高が500メートル高く、冬は閉鎖されている。交通も不便で、定期バスはない。だから、ほとんどの人はサウスリムを起点にバックパッキングを始め、またサウスリムに戻る。
昨日のノルウェー人も、コットンウッドで引き返して行った。横断してしまうと帰る方法がないのだ。私自身も、ノースリムからはバスがないため、途中の町までヒッチハイクをしようと思っている。
登り始めたトレイルから下を見ると、ローリングスプリングスキャンプのレンジャーステーションが見えた。建物の屋上は、へリコプターで荷物の吊り降ろしができるようになっている。この辺りは来る人が少ないのだろうか、キャンプは閉鎖されていた。

ローリングスプリングスの名の通り、キャンプの近くには、岩山の真ん中から滝のように流れ出ている湧水があった。幅は2メートル、落差は2〜30メートルある。リボンフオールズでは、暑くて水浴びをしたが、暑いとはいえ、昨日よりも幾分か過ごしやすい。今日は、水浴びをするほどではなかった。
時々立ち止まって、山を見上げるが、トレイルがどこに刻まれているのかわからない。木が多くて下からでは見えないからだ。
この道も、サウスリムと同じくらい立派なトレイルである。馬が通れるくらいの傾斜で、人がすれ違う幅も十分ある。表面は固い赤土でその上に薄く砂が乗っていて歩くには最適だ。


感心することは、岩を削ったり、石を積んだりして、機械が入れない険しい岩山の中に、こんな立派なトレイルを作ったことだ。シエラネバダの山中で、トレイルの補修工事によく出会った。ショベルで小石をどけ、手で石を積み上げる。大きな石は、鉄の棒をてこにして動かす。彼らの仕事は全て手作業だ。しかも、近くの山中にキャンプしてそこから通う。標高の高い所では酸素が薄く、低い所では暑い。トレイルで出会う工事の人たちへは、敬意を払わざるを得ない。
ここは、岩だらけのサウスリムとはちがい、木が多い。その木々の間に縦長の岩山や横に広がる三角や台形の岩山とその斜面を覆う土砂が見える。登ってきたトレイルも細く見える。

歩いていると苦しいが、休んでいると気持ちがいい。吹く風もさわやかだ。休憩時はまず、水を飲み、深呼吸をする。地図を見て現在地を確認する。時計を見るとまだお昼前で、急ぐ必要はないが、あとどのくらいで着くか気になる。
半分ほど登ったところに、岩をくりぬいたトンネル(スパイトンネル)があった。そこを出るとまるで虹のカーテンのようなカラフルなしま模様の岩壁があった。遠くからであったため、それが地層の色なのか、岩の表面の色なのかわからなかった。

そのあたりで、ノースリムから降りてきたハイカーにすれ違う。乗馬のツアーにも会った。先頭と最後尾にはガイドのカウボーイがつき、真ん中の数頭は客だ。下り坂でもカウボーイの手綱(たづな)さばきは見事で、客に気を配りながら降りて行くが、初心者は振り落とされないようにと力ばかり入って大変そうだ。サウスリムでも思ったが、馬に乗れば、高さと揺れで
渓谷下りがよけいに怖くなるだろう。

水筒には、とっておきのゲータレイド(スポーツドリンク)を溶かした水が一リットル入っていた。それも、残り少なくなってきた。疲れるとつい飲みすぎてしまう。
そんな時は、到着してからのことを考える。何を食べようかとか、シャワーを浴びるとか、昼寝をしようとか。楽しいことを考えると気がまぎれる。

あえぎながら歩いていると、山の上から何か低く響く音が聞こえてきた。工事用車両のようなデイーゼルエンジンの音だ。「道だ。ノースリムだ。あと少しだ。」わずかだと思うと急に元気が出た。ディーゼルエンジンの音は、トレイルヘッドの駐車場を整地するブルドーザーのものだった。
「NORTH KAIBAB TRAIL」(北カイバブトレイル登山口)という案内板があった。ついに、グランドキャーーオンを横断したのだ。

サウスリムのトレイルヘッドはブライトエンジェルロッジの近くにあるが、ノースリムのトレイルヘッドは、リムの先端より数キロ北東にある。ノースリムは、渓谷に突き出ている半島のような形で、東側に道路、西側にキャンプグラウンドがあり、先端にはグランドキャニオンロッジがある。
しばらく歩くとノースリムのキャンプ場がある。6年前、自転車で来た時と比べて道が広くなった。
キャンプ場の店(食料雑貨店=グローセリィストア)が大きくなり、別の場所に新しく建てられていた。前の建物はコインランドリーとシャワーに変わっていた。その店の前にどっかと座り込み、冷たいコーラを飲みほした。

 林の緑の間から、青い空が見える。やさしい陽の光が、きらきらと輝いていた。 (1980年7月)


詳しくは、国立公園局のHP http://www.nps.gov/grca 日本語版の広報「ザ・ガイド」で
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